若狭守護武田氏の文化遺産
園遊会に出席したとき、皇太子殿下から
「小浜は歴史と文化が豊かなまちですね」とのお言葉を頂戴しました。
福井県の小さいまちのことをよく覚えておられ、
感銘するとともに有り難く思った次第です。
(殿下は独身時代に小浜へこられています。)
小浜は、古くから和歌や連歌などの文芸が盛んで、
山川登美子らを輩出していますが、若狭の文化の基礎は、
いつ頃から培われたものなのでしょうか。
それは、室町時代若狭を支配した武田氏
(甲斐から安芸をへて若狭守護職となった武田本家)に
よるところが大きいと考えられます。
なかでも、若狭3代目の守護・武田国信は将軍家の御供衆で、
文芸では当代一流の連歌師と深く交わり「一代風流の老将」いわれました。
三代将軍足利義満が数回にわたって下向し、
都の著名な文化人との交流などにより、和歌、蹴鞠、書道などを嗜む
風流な暮らしぶりがありました。
四代目元信は、父国信を凌駕して若狭の文化・文芸を盛り上げ、
さらに五代目元光の他の追随を許さない華やかな活動は、爛熟期にありました。
元光が築城した後瀬山は万葉集に
かにかくに人はいふとも若狭道の
後瀬の山の後も逢はむ君
坂上大嬢
と詠われており、清少納言の枕草子にも出てくる名山です。
わずか一四〇年余(八代)の間に名門若狭武田氏が築き上げた文化は
故実、文学、芸能、絵画、等々数え上げるとかなりな範囲に及び、
現代にまで続く若狭の文化的土壌を培ったと呼ぶに相応しい内容が
各所に見受けられます。
(参考資料:福井県立若狭歴史民俗資料館編「若狭武田氏とその文化」)
小浜市郷土研究会会員 網本恒治郎