佐久間勉の遺言
佐久間艇長は、一九一〇(明治四十三)年山口県新湊沖で、
潜水艇の訓練中十三人の部下と共に殉難。
沈没後も取り乱すことなく部下を指揮し、
遺書に沈没の原因を書き残した冷静さや勇敢さが国内外でたたえられた。
小官ノ不注意ニヨリ・・で始まる三十九ページにわたる遺書、
それは暗闇の中、息も絶え絶えに苦悩を忍んで書き綴ったものである。
十二時三十分、鼓マク破ラルル感アリ呼吸非常ニクルシイーと書き、
なおまだ微かに残る最後の呼吸で、お世話になった方々、
恩師に感謝の意を書き綴った。
その中の、佐久間の上官藤井海軍中将は、
「私は世の人がこれを単に軍人社会の一出来事として軽く見過ごさず、
実業家も政治家もその他の職業の人達も、この壮烈なる事実を深く胸に刻み、
彼の心を心として日本の職務に当たらんことを切望するものである。
彼に学ぶべきは、その最後の悲劇のみではない。
彼の平生が既に、常人と違っていたのである。
その誠、その熱意、その意思こそ、私共が模範とすべきものであった。」
としみじみその感慨を語られた。
若き佐久間勉が遺したメッセージは、
今も私たちに普遍的な示唆を与え続けている。
佐久間艇長伝記編集委員 百田吉江
佐久間艇長の歌 斉唱
一 花は散りても香を残し
人は死しても名を残す
あつぱれ佐久間艇長は
日本男子の好亀鑑
二 時は四月の十五日
艇長部員を引率し
呉沖遠く乗り出でし
船は第六潜水艇
三 沈みしままに浮かばずと
悲報天下に伝わりて
眉をひそむる同胞の
驚きうれいいくぱくぞ
四 間もなく所在をさぐり得て
引き揚げ鉄扉を打ち破り
見れぱいたましあなかなし
呼べども答えぬ十四人
五 司令塔上厳然と
指揮せるままに艇長は
生けるが如く死につきし
最後の雄々しさ勇ましさ
六 これをはじめに部下諸員
少しも乱るる様もなく
息絶ゆるまで我任務
守りし様ぞ知られける
七 艇長遺書して我が部下の
遺族に雨露の君恩を
乞い奉りし一筆に
感泣せざる人やある
八 その外呼吸のせまるまで
手帳に記しし数箇条は
唯君のため国のため
赤誠吐露して余すなし
九 弾丸飛びくる戦場に
たふるるのみが勇ならず
壮絶非絶のこの忠死
聞きては懦夫も起ちぬべし
十 艇長生地は福井県
海軍大尉名は勉
勅して位階を進めらる
枯骨に花の誉あり