若州良民伝とは…
安永九年(1862)に発行された全四巻からなる書。
若狭地方で領主が領民の中の六十余人の善行を記録したものである。
若州良民伝 巻二より ~新滝谷村~
遠敷下中郡、名田庄滝谷村はかって
小野駒之助と言う人が居を構えていたので小野とも言っていました。
その末裔の彦左衛門と孫助の二人が土地を開墾しているのを、
領主の空印公が巡回していた折に見て、
この地は開くべきだと言ってこの二人にその領域を新田として与えたので、
二人は大喜びで必死に働きこの地をついに沃田に変え、
新滝谷村と名づけました。
やがて村人は増えていきましたので、
役所からは村人に賦役(ふえき=税の代わりの労働提供)につくよう
通知を出そうとしたのですが、
空印公は新田開発の功によりこの村人達には公役の免除を命じました。
村人はこの恩に報いるためほこらを造り空印公を
「産土神(ウブスナガミ=この地を生みたもうた神)」と呼び
年ごとに九月十二日を祭日として村人こぞりて参拝することを怠ることはありませんでした。
その後、享保(江戸中期、十八世紀初め)に洪水があって
田野、民屋に大損害を被った時、
このほこらも痛んだので村人が再造するのに、
時の代官は村人の領主、祖先を大切にする心を褒め、
金一封を与えました。
その後もどの代官もこのほこらの改修には費用を出しました。
先の彦左右衛門、孫助の子孫は今に絶えずに続いています。
若狭文学会会員 松井正