酒井忠勝侯の墓 (長英寺・太良庄)
酒井忠勝侯の墓
酒井忠勝から忠禄まで十四代二百三十年余にわたって、
若狭国を治めた歴代藩主の菩提寺が空印寺(小浜市男山)であることは
よく知られていますが、忠勝の墓がもう一つ市内の長英寺(太良庄)に
あることは、一般的にあまり知られていません。
忠勝の死後、国元の家老三浦帯刀好正(知行千五百石・妻は忠勝の妹。
空印寺の酒井家墓所の一角に、三浦家に嫁がれた姫君の五輪塔がある)が、
酒井家を守っていくとの思いから、自分の領地である太良庄に寺を建て、
忠勝の法名「空印寺殿傑傳長英大居士」から長英寺と名付けました。
三浦家は、忠勝が武州川越から若狭へ転封となった時に、
お目付家老として来た家柄で、帯刀の父三浦七兵衛義也は
忠勝の父忠利と忠勝二人に仕え、二千二百石の知行を得ていました。
長英寺本堂背後左手中腹にある忠勝の墓の横に、
三浦家先祖代々の墓があり、一般の墓地と区別されています。
三浦家は、現在に至るまで忠勝の墓所を守っています。
小浜市郷土研究会会員 網本 恒治郎
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