佐久間勉艇長「二冊の手帳」
佐久間艇長の遺品から二冊の手帳が見つかりました。
一冊は「明治四三年懐中日記」、もう一冊は新聞で公表され、
全世界に感動を与えた「佐久間艇長遺言」です。
艇長の孫、宏さんは平成二十四年夏、
倉の中から明治四十年から四十三年の懐中日記四冊を見つけられました。
この懐中日記は艇長の備忘録として書かれ、
出(手紙を出した人の名前)受(手紙を受けた人の名前)や
日々の出来事、時には欄外に体重などが書かれています。
艇長の日常や人柄を窺い知ることができます。
上記の日記は艇長が生涯最愛の妻を失った日のものです。
「二月十一日 紀元節 晴、早天、遥拝式ヲ行フ、
終テ「ボートレース」 嗚呼此ニ日ハ我レニ於テハ、
何タル凶日ナリシゾヤ夜九時三十分當ニ□□ニ就カントスル時
「今朝女生レ次子死ス」ノ凶電ニ接ス、実ニ万事夢ノ如シ、アア」
「二月十二日 降雪、晴、寒気強シ、
午前四時情深キ艇員ニ送ラレツツ呉停車場ヨリ乗車、
急ギテ富山ニ向ケ帰途ニツク・・・」
「二月十三日 降雪、午前十時過ギ富山停車場ニ着ス、
・・・急ギテ宅ニ入リ長ヘテ眠テ覚メザル次子ノ死顔ニ接シ感慨無量、
嗚呼何等ノ悲痛事ゾヤ」
「二月十四日 晴、富山 次子ノ葬式施行、午后二時出棺
市離レノ市役火葬場ニ於テ火葬ニ附ス、
可憐二十一才ヲ一期トシテ一朝ノ煙ト消エヌ、嗚呼悲イカナ」
成田先生への手紙の中でも
「隻手、否双手を切断せられたる感あり」と妻の死を伝えています。
艇長の妻への愛と、嘆き悲しみの深さを知らされます。
佐久間勉艇長伝記編集委員 小堀友廣