雲濱獅子舞
雲濱獅子と関東組
例年五月二日、三日に行われる小浜神社(祭神:初代小浜藩主・酒井忠勝侯)
例大祭(お城まつり)に奉納される雲濱獅子舞(福井県無形民俗文化財)は、
今年もコロナ禍のため、三年続けて関係者による神事のみとなり寂しい限りです。
獅子舞は、寛永十一年(一六三四)酒井忠勝侯が武州川越から
国替えになった時に、演者を帯同されたことが由来とされています。
演者たちを、関東組と称して竹原村(現在の関地区)の
長屋(昭和二十八年台風十三号で流失)に住まわせ、准士族として処遇し、
主に城中の祭礼で演舞が許され、
また、城下の産土神である廣嶺神社への奉納も行われました。
そのルーツは、川越市石原町の観音寺の観音祭で演じられる、
ささら獅子舞といわれています。
雌獅子をめぐって2頭の雄獅子が争う場面があり、
最後は仲直りをして〃目出度しめでたし〃で終る結末は、
雲浜獅子の演舞内容そのものです。
三百八十年有余にわたって受継がれてきた無形民俗文化財が、
演舞の機会を失うことは誠に残念です。
いつもどおりのお城まつりが戻り、
次の世代に引き継がれて行くことを心から願っています。
若狭の語り部 網本恒治郎
川越ささら獅子舞
(一番町雲濱獅子保存会資料より)