古地図にみる侍屋敷の変遷
小浜城下の侍屋敷は、城の北側に開かれた雲浜と
南側に広がる竹原にありました。
享保二年(一七一七)の家中之図では、
山川登美子の本家筋にあたる山川武左衛門の屋敷が、
四谷の県若狭健康福祉センター附近にあったことがわかります。
時代が下り、文政7年(一八二四)の絵図では武左衛門の屋敷は、
江口善左衛門に代わっており、転居先は定かでは有りません。
梅田雲濱の父矢部岩十郎の家は、
千種の森の近く千代町(千種二丁目)に表示があります。
岩十郎は、文政八年(一八二五)病気のため隠居したので、
天保二年(一八三一)には他人名義(名字が判読しずらい)になっています。
当時の屋敷は役職により貸し与えられた藩宅で、
個人の所有ではなく世代交代があれば取って代わられました。
筆頭家老酒井伊織家をはじめ、三浦家、深栖家、都筑家、武久家など
家老の場合は世襲がみられます。
ターヘルアナトミア(原書)を、杉田玄白らが手に入れることに尽力した
小浜藩の家老、岡新左衛門の屋敷も
二番丁勝間小路(千種二丁目)の通りに面して存在します。
藩士の生活に思いを馳せながら、
絵図の道筋を現在の地図に置き換えてみると、
子供のころとは相当変わっていますが、
そこかしこに往時の痕跡が残っていて興味が尽きません。
小浜市郷土研究会会員 網本 恒治郎