調を運ぶ人びと
(出展:伊藤展安『週刊朝日百科 日本の歴史』51号より)
若狭しおの道(4)
奈良・平安時代の国家は、
「律令」という法に基づいて統治しました(律令国家)。
農民(公民)は、戸に編成されてさまざまな税が課せられていました。
律令による税は、
租(米)・庸(布など)・調(特産物)という物で納める税と、
雑徭・仕丁・兵役などの力役に大別されます。
ここでは、各地の特産物を政権中枢部に納める義務が課せられていた
「調」(ちょう)についてお話しします。
若狭の場合(正丁=二十一~六十歳の男子)、
塩三斗(一斗二升)を食料自弁のうえ国の役人に引率されて、
税として中央政府へ納める義務がありました(女子の負担は、租のみ)。
この調は、律令国家の政府にとって財源の根本でした。
この時代の製塩遺跡の代表が船岡遺跡(おおい町)で、
量産体制が敷かれていることから、
国営工場の体をなしていたようです。
船岡遺跡は、奈良時代の日本を代表する大規模な製塩遺跡で、
全国に周知された著名な遺跡です。
町では、遺跡の横に史料館を建設し、
現地には製塩作業のジオラマや旧炉跡を明示するなどして、
遺跡を顕彰しています。
関西大学 講師 博士(文学) 入江文敏