若狭 しおのみち〈1〉
若狭湾沿岸で、古墳時代から奈良時代を中心に近世まで、
膨大な量の塩が生産されていたことをご存じでしょうか。
古墳時代から、専用(製塩)土器が使われていました。
奈良時代においても土器が基本ですが、
一部鉄釜の使用があった形跡があります。
中・近世には、NHK朝ドラ「稀」(石川県珠洲市)に登場していた
揚浜式塩田が、若狭湾沿岸にも普及していました。
「汐汲み女の仕事」は重労働で、
丹後の『山椒太夫』「安寿と厨子王」の話は、有名ですね。
周囲を海に囲まれた日本列島では、
海岸線をもつ地方であればどこででも、
専業的に製塩を行うことは可能だったはずです。
ところが、製塩土器を用いて専業的に行った地域は限られていました。
若狭は、古墳時代~奈良時代にかけて、日本海側最大の製塩地帯だったのです。
関西大学 講師 博士(文学) 入江文敏
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から