佐久間艇長に想う
幼少期をここで過ごしている。
小学校の頃、妹を風邪で亡くしていることもあり、
体を鍛えることについては、熱心だった。
中学校では、片道十二キロの道のりを、
わらじ履きで通い続けた。
沢山残っている艇長の手紙から想うとき、
父母への孝養、恩師への尊敬そして周りの人への感謝、
当時周りの方々も感心されていたという。
明治四十三年の潜水艇の事故の時、
最後に遺書を書いている。
その思いは、艇長そのもので、
人としての生き方を訴えているようである。
与謝野晶子が挽歌を送っているが、
その晶子と大変縁の深い山川登美子が、
艇長と全く同時代を生き、
二十九歳の若さで亡くなっている。
機会があれば、小浜へも行ってみたいと思った。
今年も、四月十五日顕彰祭が、桜で満開であるよう願っている。
若狭町みかたの語り部 山田邦明
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