鯖街道「針畑越え」の見所Ⅱ
昨年四月に日本遺産第一弾として認定された鯖街道であるが、
今ひとつ認知度が低いと新聞は報じている。(平成二十八年四月二十四日福井新聞)
一人でも多くの人が鯖街道、
中でも上根来から近江への「針畑越え」に関心を持って頂けるよう
この道のことを書いてみよう。
当然のことであるが、「鯖街道」という道が存在したわけではない。
昭和四十年代半ばまでにそのような言葉を聞いた記憶はない。
当時京都方面から若狭へ越えて来る道は若狭越えであり、
若狭側から越える道は京道であった。しかし、
若狭から近江へ越す峠道は昔から存在していたし
戦前小学校へ行く前の小さな子供が
おばあさんに手を引かれて針畑越えをした話を聞いたことがある。
また戦後、耕耘機が普及する前までは農作業を助けるための役牛が
博労に引かれてこの坂を越えたという話も聞いた。
道は結果的に京都まで続いてはいるが、
本来は集落同士を結ぶ生活のための道であったのだ。
さて、この坂の上部に壕のように
深く掘れた古道部分が長く続く個所がある。
我々は深道(ふかどう)と呼んでいるが、
長い間多くの人が歩いた結果山の土が掘れて
そこをまた雨水が走ることによりさらに土がえぐられ、
道は益々掘れてしまったという事なのだろう。
ただ、平坦な山道ではなく、大きくU字形に掘れているこの道を見ると
針畑越えの道が歴史の道でもある事を実感させてくれるのである。
鯖街道歴史研究会 杉谷 長昭