山川登美子を偲ぶ
四月十五日は若狭が生んだ明治時代の歌人山川登美子の命日です。登美子は与謝野鉄幹が主宰する文芸雑誌「明星」で、鳳晶子(後の与謝野晶子)とともに女流歌人の先頭に立って活躍しましたが、病のため二十九歳の若さでこの世を去りました。
彼女は郷里小浜の家で最期を迎え、歌に命を託するように清らかな辞世の歌を遺しました。
父君に召されていなむとこしへの春あたゝかき蓬莱のしま
登美子
弟の亮蔵に巻紙を広げてもらい、仰臥したままで一息に書いたという辞世の歌は、亡くなる二日前とは思えないほど、のびやかな筆のはこびです。
登美子の家は明治時代の木造建築で、国の文化財に選定され、山川登美子記念館として公開されています。辞世の歌が書かれた終焉の間の前には梅の古木があり、毎年美しい八重の花を咲かせます。
人が花か花が人かと思うまで登美子の庭に紅梅は散る
よしえ
春の晴れた日には、縁先から花を眺める登美子に会えるような気がします。
りとむ短歌会所属 北野よしえ